不注意で左手の
親指と人差し指の爪の先が割れて
ガキガキになってしまった。
(親指なんて絆創膏を貼らなきゃいけないほどに...)
その途端、
紙をめくるとか
物をつまむとか
お菓子の袋を開けるとか
いつも無意識にやっていた作業の色々が急にやりにくくなって。
ちょっと無気力になるくらい
変化があった。
どうしてここまで、
と思ったけれど
もしかしたら僕は
左利きだったのかもしれない。
昨日もねた
毎日毎日ねている
こんなにも
ねなきゃいけないなんて
でも明日もねる
あさってもねる
ねてもねてもねる毎日。
おフロは身体をきれいにする時間だと思っているものだから
シャワーでザザッと済ませてしまう。
でも、久しぶりに湯船に浸かって
久しぶりにシワシワになった指を眺めていたら
1日をリセットするのにいい時間なんだなと
これもまた久しぶりに思い出して
なにをこんなに毎日急いで暮らしているのかと
おフロの時間に気づかされた。
昨今の急な天候の変化には、身体がついていっていないようで
今年の冬の寒さは妙にこたえる。
冬はまだまだ
これからなのにな。
]]>暗くなると、すなわちそれは夜。
という気分だからなのか、
あっという間に夜だ。
気がつくと夜だ。
もう夜に何を食べようか
考えなくてはならない。
もう今日はどこまでにするか
考えなくてはならない。
なんともおっくうなことだ。
慌てて引っ越したのか
1匹忘れていってしまった。
最初は、大きな声で鳴き続けていた子猫も
諦めたのか、お腹が空いているのか、
鳴くのをほとんどやめてしまった。
そのままだと死んじゃうから...
仕方がなく、子猫用のミルクを買って
箱に書かれた説明のままに少し温めたりして。
毎日、与えてみている。
まだ歩くのもヨチヨチな感じだけど、しっかり警戒はされていて仲良くはなれていない。
あまりにどうしていいか分からないものだから、こんな関係のまま1週間くらいたってしまった。
ノラ猫の親は時折、近くの通りをうろうろしているから、なんとか親に返すか、
誰か人間に飼ってもらうのが、この子ネコの幸せだろうか、などと何をどうしたらいいのか分からぬまま。
頭の中が堂々巡りの日々である。
心を亡くすと書くって
誰かが言ってたな。
なぜか人生で一番、
忙しい数週間を越えて
今、まだ心をどこかにやってしまわず
なんとか持ちこたえて、
八合目辺りをおりつつある。
色々うまくいってないところもあるけれど、自分が壊れてしまっては元も子もないので
もう少し、この心亡くさないマネージメントでやっていくのだ。
あ〜ボーッとしたいな
知ったふりして通り抜けようとして
不意に真新しい空き地があると
妙に寂しい気持ちになる。
思い出しても、
もう、そこになにが建ってたいたのか分からない。
空き地は往々にして広々と見えるから
こんなに広い場所にあった建物が、全然思い出せないなんて薄情なやつだ。
と、自分自身を残念に思うのだけど
どうやら別の理由があって、
建物が幸せに解体されたのかが気になるようなのだ。
幸せに解体?
いや、だってずっと一緒にいた動物が死んじゃった時、悲しんでお墓まで作ってあげたりするけれど、
建物が死んじゃう時って何もないじゃない。
せめて持ち主に感謝されてあの世?にいっておくれ。
夜から続く朝を迎えてしまった。
この、
頭の中のスローになる感じ
まぶたが重い感じが懐かしい。
ほぼ個展といえる展覧会を作っていて、初日前夜〜朝。相変わらず朝日は朝を押し付けてきて、やっぱりきらいだなと思った。
どーしてこーなったかなぁと振り返るも、自分のための時間の取れなさは、毎回更新されていくものだから、
作るスピードが上がっていても追いつけなかったのだ。
と、いうことで...
こちらの展覧会開催中です。
「言葉と体」
Instagram:
]]>低いシートに腰を下ろして、
子供の目線で駆け抜ける
赤い小さな自家用タイムマシーン。
鍵を回してエンジンをかける。
1速→2速→3速...とシフトアップ↑
あっという間に時間を飛び越える速度に到達だ。
これに乗れば、
歩いて1時間かかるところも、10分で到着!
(50分のワープ)
速度は時間を飛び越える
速度は距離も縮められるということだ。
今日も明日も
あなたもわたしも運転したらタイムトラベラー。
実行委員になってみたり、出店してみたり、巨大な装飾を作ってみたり。
その頃の喜びが、今の活動につながっているのは間違いない。
でも、学祭は年に一度だから燃えるのであって、それが毎日だと少々意味合いが違ってくる。
ある時、どんな毎日かと聞かれて、毎日が学祭のようだと、ふと口から出たことがあった。
みんなにとっての非日常が僕の日常だ。
悲喜交々、
毎日学祭。
]]>さっき気がついた。
4月は本当に30日あったのか疑わしいよ。
待ち遠しいという言葉がある通り、
何かの日を楽しみに待っていると、その日が来るまで時間が長く感じるのだという。
(例えばバスや電車が来るのを意識して待ってると時間が長く感じるのも同じ原理)
強がって、そんな気持ちでアレやコレや
やってみるか!
いや...ハードルたか...i
ハンバーガーを公園の木陰や、海辺で食べるだけで妙に幸せを感じることができる。
子供の頃、たまにしか食べちゃダメだったからなのかハンバーガーは、いつまでたっても特別感がある。
高校生の頃、少し多くのお金が手に入ったら、これならモスバーガー何個買えるな!なんて学校帰りに話してたのをナゼか覚えている。
そして最近、どうやら僕はサンドイッチが好きなのか!ということに気がついて(遅い)
そういえばハンバーガーもサンドイッチの仲間だから好きなのかもしれないと妙に納得したのだった。
好きな食べものほど、時々しか食べない。という不思議な行動なものだから、次はまた来週くらいかな。
今日食べたから。
]]>様々な年代、ジャンルの手作り品が、通りの軒先やガレージ、町屋などに並び、食べ物のブースなんかも出店するイベントで、
普段、歩いている人が多いとはいえない通りを、その時ばかりは「街ってこんな光景がいいよな」って思えるくらい人が歩いてくれてイベントを楽しんでくれる様子に、僕はいつも幸せを感じている。
そのイベント名は「ものまちさんぽ〜 2023 春」。
12月ころに次の年の桜の開花予想を調べて、開催時期を決めたんだが...
12月の時点で平年並みと言っていたはずが、3月くらいになって突如、史上1番早く咲くかも...と言い出した。
オーマイガーッ
と、おかしなことを言い出したくなるくらい、ガクッときた。
完全に後出しジャンケンだ。なんてこった。
ものまちさんぽ〜の魅力の一つの桜が開催日にはもう散っているかもしれないのだ。
どうしよう。もないのだけど...
桜の木に早まらないよう念を送りながら準備をしよう...
お天道さまにも、あまり張り切らないようにお願いをしておこう。
・・・・・
「ものまちさんぽ〜 2023 春」
2023年4月22日(土)・4月23日(日)
10:00〜16:00 *雨天決行
秋田市新屋地区(表町・元町界隈)の商店や軒先など
家のエアコンやコンセントのオンオフを操作できる機械があって
寒い時は、前もって離れたところから
エアコンの暖房をオンにして
少し暖まった頃に帰宅している
便利で、その恩恵に預かっているんだけど
例えば外のどっかの駐車場の車の中から、部屋の電源のスイッチを入れる不思議さは何度やっても慣れない
これまで部屋のことは、その部屋に来たら考えればよかったんだけど、
まるで外に部屋がやってきたようで便利だけど、欲しかった未来とはなんかちょっと違う感じがしている。
食べようと思って、朝、バナナがないと少しさみしい気持ちになるから、
注意深く、切らさないようにする。
キッチンに置いてあるバナナを
朝、脳内にスクショしておく。
買い物する時に残量を思い出して
まだ買わなくていいな、とか
そろそろ買っておくか、と心の中のバナナ担当と相談する。
朝のバナナは小さめがいい。
大きいバナナは、それだけでお腹いっぱいになりそうだから、小さくて多めに付いているのを狙う。
今夜もちょうどよさそうなバナナを手に入れた。
ひと安心だ。
夜の暗闇が本当に怖くて怖くて
部活で遅くなった時には、自己流の呪文かなんかを唱えながら
暗闇を走り抜けて帰っていた
だって暗闇に何がいるかなんて
誰にも分からないじゃない
(今でもちょっとそう思っている)
そんなんだから
深夜0時には
おばけが出てくると思ってて
(妖怪の本の影響なのかも)
できるだけその前に寝るようにしていた
でも...そういえば
今まで一度も
深夜0時のおばけには出会ったことがない
あれ
暗闇にひそむおばけにも出会ったことないな
人の名前を覚えていられない
職業柄、これまで本当にたくさんの人と会ってきてしまい
今も毎日のように新しく人と会っているから
もう脳みその容量はとっくにいっぱいで
過去の記憶や使わない記憶から上書き保存されていっているようだ
ある日、中学校の同級生ですって話しかけられて
お顔を見ても思い出せず
お名前を聞いても思い出せなかった
まるでその当時の自分が消えてしまったような気持ちにもなって
流石にその時は凹んだけれど
別名保存できる容量がなかったのだ
こんなにハイテクな世の中なんだから
「誰だっけ〜」ってなった時、ピコーンと名前と情報がこっそり自分だけに分るようになったらいいな
ならないだろうな...
歳が重なっていくにしたがって違和感は増大する一方だ。
ただ、経験も増えていくから
この言葉は年相応じゃないかもな、とか
この言葉の方が大人っぽい言い方かもな、とか
あの人はこういう振る舞いをしていたな、とかとか
知識を総動員して自分なりの年相応なバランスを探っているみたいだ。
とにかく、自分の中身が変わらないものだから、外の情報を仕入れてるなんとかやるしかないのだ。
でも最近も「めっちゃいいね!」なんて言ったような気もするし、バイバイ〜なんて手を元気よく振ってしまったりしている。
まったく年相応ってなんだろな。
また新しく始められる気持ちになるから
助かるけれど
さすがに2022年は早すぎた。
来年は何もしない予定を入れて
少しは立ち止まったり
本を読んだりしたいな
そうしよう
ニューバランスの靴の色々な画像を見ている。
広告が追いかけてくるから、
それにあらがわずに時々クリックしてみているだけなのだが、
靴にそこまでこだわりもなく
ファッションも詳しくないから
こんな色の組み合わせもあるのかぁとか
これはダサいなぁとか
なんとなく感想を持つけれど
それがファッション界の通説と合ってるはずもなく。
文脈も分からないままに、ただただ漠然と、数字の名前にすると良いもの感あるなぁとか、底はなんでこんなに厚いのかなぁと思ったりして、
ウィンドウを閉じる。
結局、ニューバランスらしくない変なカタチのニューバランスを買い
変なカタチだなぁと思いながら履いている。
ある意味、僕の足元に新しいバランスをもたらしてくれたのかな、ニューバランス。
追伸:靴を買ってからもまだなぜか色々なニューバランスを観察しています。
まだ10月のままだ
手を伸ばして一枚めくれば
すぐ今月に追いつくのに
気持ちはまだ10月のままのようだ
今日もそのままにして
おやすみなさい
]]>ネコが鳴いているのかと思ったら
鳴き声は空の方からだ。
見上げると
低空をV字になって飛ぶ白鳥だ
疲れているのだろうか
まだまだ行けるのだろうか
その隊形はチカラ強く、
どこから飛んできたのか
どんな旅路だったのか
どんな気持ちなのか
脱落して離れた者もいるのか
僕の想像なんかの遥か上空を
飛び越えていくもんだから
ノドの奥がギュッとなって
少し泣きそうになりながら
姿が見えなくなるまで
ただ見上げている。
]]>こう聞かれて、思い入れや熱量を持って開催されてるイベントは1/10もあるだろうか。
とにかく、ここ数年、ポッと生まれた〇〇マルシェや〇〇フェスや〇〇マーケットが多すぎて、目が回るる〜
いいんだ、コンセプトなんかなくても、
ただ賑わえばいいイベントがあっても。
でも、そんなイベントは長く続かない。
せっかく頑張って、来場者を楽しませて、思い出なんか生まれたりしても、数年したら忘れられていく。
もったいないなぁ。
イベントにだけ出ていた人がお店を持つようになったのを何例か知ってるから、この先、街にお店が増えたりするのかな。
ハレからケへ。
日常が豊かになっていく胎動みたいなものだといいな。
目がわるい僕は
髪を切られている時メガネを外しているので
切っている様子はほとんど見えない。
切られている時間は
なにかひらめいてもメモも出来ないし
絵も残せないし
不意に美容師さんに他愛もないことを話しかけられるし
なんというか
シャワーを浴びてる時のような
浅〜い思考タイムだ。
昔は、話しかけないで放っておいてくれ...
なんて思ってたけど
なんでかな
昔よりは苦手じゃなくなったみたいだ。
僕のテンションは急降下
何もしてないのに皮膚から液体が出てくる異常事態(汗)
外はパッキリ眩しく
ジリジリ語りかける
「ほらっやったろうぜ!」
「汗かいて夏を楽しもうぜ!」
そんなキャラで迫ってくるから
とにかくウザったい
このままずっと
9月くらいまで夏になるんじゃ
と恐れていたけど
少しずつ涼しくなってきて
しめしめ
少しずつテンションを取り戻しつつある
みんなどんなタイミングで
どこで本を読んでいるんだろ。
職場では集中できないし
家では読むのに合うポジションが見当たらない
車の中ではどうか、と
本を持って土手の橋の日陰で読んでみる。
今のところ一番マシな場所だった
そうか本を読んでいると、今こんなことだけをしてていいのだろうかと
邪念が湧いてくるのが
本をなかなか読めない一番の原因のようだ。
はたらいててもねむい
ごはんたべたらそりゃねむい
よるはくらくなるからやっぱりねむい
いつねても
ねるときはおやすみなさいなんだね
おやすみなさい
]]>僕にとって贅沢な時間のすごし方、
夜ふかし。
せっかく少し早起きの生活になってきたというのに
また夜ふかしをして
リセットされてしまった。
なにをするでもない
ビールを飲んでネトフリを見て。
あ、ちょっと特別だったのは、
いただいた細筍を初めて焼いて食べてみたらとてもおいしくてビールが進んだこと。
あと、これもまた
いただいたマンガを読んでホッとしてやる気が出たこと。
今宵はなぜだか特別な夜ふかしになったけど、普通でいいんだ。
夜ふかしは、夜ふかしすることが大事なのだ。
前にいたおじいさんが
レジ打ちのお姉さんになにか他愛もないことを話している。
ドラッグストアのレジに並んでいると
買ったものを詰めるところで
おばあさんが品出しをしているお兄さんに元気に一生懸命なにかを話している。
買い物をする場所に、会話をする場所を求める寂しい人たちなのかと思って見ていたが、
いや、昔は個人商店で買い物をすることが多かっただろうから、そんな風に気軽にお話しをするのも買い物の一部だったのかもしれないと思った。
どちらにしても
街は随分と冷たくなったものだ。
そんな話しをしたい人に出会うと、
なぜかどこかイライラしてしまう自分がいて、環境のルールの求められるまま、いいお客さんを演じすぎなのかもしれない。
僕も冷たい街の一部になっている。
社会や環境が不安定すぎるのか
たまたまそんなバイオリズムなのか。
分からないけれど、
ここ最近、ちょっと
ふわふわする感じがする。
頭上に青空が見えていたかと思うと
不意に雨が降るし、
立つために足をのせてる大地ですら
不意に揺れるのだから、
そりゃふわふわもするか。
]]>寝る時と
食事をする時は
自分だけの速さの時間が流れるから
あっという間にもう寝る時間だとか
またご飯を食べる時間か
となる。
こそだけルーティーン。
ルーティーン
あれ、いい響きの言葉だな
今日も明日も
泣いても笑っても
そこだけルーティーン。
]]>なぜだ世の中は複雑になっていく
接触を減らすために電子マネーをお使いください
エコのためにマイバッグを使いましょう
ウソばっか
]]>クルマで20分圏内を
行ったり来たり。
どこに行っても対向車は走ってるし
横に通りすぎるお店には人がいて、
家々には住んでいる人がいる。
それがこの街の自分のいない所でも常に起こっているのだと思うと
それはもう想像できる範囲を超えている。
これが街というやつだよなと
当たり前のことを思いながら
ハンドルを握りなおし
また自分のやることを整理し始める。
]]>もう寝る時間
もう4月
もう2022年
もう爺さん
って何十年か後にも言ってそう
]]>寝ることが少しこわい
布団はこんなに気持ちがいいのに
夜の自分だけのペースで流れる
時間が終わるのが嫌なのか
朝が来るのが嫌なのか
やり残したことがあるのが気がかりなのか
なんでだろうな
逃げるか
祈るか
戦うか
]]>ビクビクしながら外を見る。
とにかく今年は市内でも雪が多くて、
雪景色が大好きな僕でさえ
少しうんざりした気持ちになる。
あ、いや、その気持ちの大部分は、
寄せた雪についての
近所の人の無言の圧力に対してだと
今、気がついた。
(無言というか実際声をかけられたし)
雪が積もると境界は曖昧だし、
雪かきに対するスタンスも様々だから
そりゃ何かが起こるわけだ。
そして基本的には、その地域にどれだけ長く住んでるかによって、
言ってもいい側と言われる側に分かれるような気がする。
ある朝突然に、
雪がきれいさっぱり寄せられてた!とか
まるでブロック塀のように美しく雪を積んであった!なんて
近所の人を、あっと言わせたい気持ちになっている。
いいことがやってきても喜びすぎず
悪いことがやってきても悲しみすぎず。
次に何がやってくるか分からない毎日に対して
概ねそんな心持ちですごしている。
それでも何かが重なって大きな波のようになってしまうこともあるから
いつまでたっても生きるというのはなかなかにやっかいだ。
上がればいつかは下がるし
下がればいつかは上がる波乗りライフ。
ちょっと波が重なってザバンッとやってきて
ビビってるけど、
どれ身を任せてみましょうか。
]]>外から
びょーびょーと風の音がする
どこか不安を感じさせる
できれば聞き続けたくない音
いつだったか
何気ない会話の中で
その冬の音だと思っている風の音は電線があるから鳴っているんだよと言われハッとした
小さい頃から当たり前すぎて深く考えないことってあるけれど
まさにそれで
こんなにも冬の印象の一部になっているのに
もし電線がなかったら
風の吹く冬の夜がこんなにも怖くて大きな何かに感じられることはなかったかもしれないなんて。
]]>僕の眠りの邪魔をする。
毎日
毎日、
懲りもせず。
たまに放っておいておくれよ。
]]>その昔、それはお手拭きと言われていて、手を拭くことができたんだよ。
と、昔ばなしのように言われる日も近いかもしれない。
なんのことかって、
お弁当を買った時やお店で使うことになる
使い捨てのお手拭きのことである。
これがドンドン小さく薄くなっていっていて、そろそろ手を拭くのも限界かなというヤツが現れ始めている。
飲食店だったら、お客さんが最初に触れる"食べる"体験の入口なのに
ここまでウェルカム感が薄れていくと、お店の人はお客さんをこのくらいにしか考えてないのかなと思えて少し悲しくなってくる。
コスパでしか性能の改善を表せられないお手拭き業界の限界か。
はてさその先には何があるのかなぁ。
]]>懐かしい。
街の様子が少し落ち着いてきたかと思ったら、
政治は経済を回すとか言いだしてるし、
外国では相変わらずキナ臭いにおいが漂っているし、
街では、人を傷つける出来事が度々起こっているようだ。
なんでこんなにも心が落ち着かないのかと考えてみるも、
ネットで情報を拾いやすくなったから、という理由以外になにか、
小さな世界でも広い世界でも
違うバランスを取ろうとフラフラしているように感じる。
あ、そうか
もっとみんなに降りかかっていること。
お天気が落ち着かないせいかもしれないな。
とにかく、めまぐるしい。
]]>レトルトカレー
缶ビール...
長い期間、いつ食べてもいいよと
言ってくれてるはずの食べ物たちの
賞味期限がことごとく切れてるのを見つけ、
僕はそんな長い期間、
いったいどこで何をしていたのかと
ガッカリした。
さて
そののち、気を取り直して。
それらを食べる時に僕は、
これまでにないくらい味覚に感覚を研ぎ澄まし、これがまだ食べ物なのか妙な集中力で向き合っていることに気がついた。
これはもしかしたら、
普段、雑に食べているよりは、食べ物に対して真摯な姿勢と言えるのかもしれない。
お腹も満たされると前向きな考えになるのか、いや、まだお腹を下してないから、のん気なことを言ってみているだけだな。
]]>「無題」
ほんと無題とはよく言ったものだ。
おそらく無題には大雑把に2つの意味がある。
作品に言葉で意味を付けたくないという作家の無言の主張か、
はたまた何も思いつかなかっただけか。
かく言う自分も、
言葉が出てこなくてここに何かを書くことがおっくうになってしまっているんだけど、
ただ放置するのも違うなと思って言ってみる
「無題」
]]>やや
9月やどこいった
あれ
8月あったっけ
この調子じゃ
気がついたら今年も終わってしまうんじゃなかろうか。
時間の進み具合を遅らせるには...
自分の生活の時間を増やすことから。かな
]]>キュ キュ キュ
と、上の方から聞こえるから
電柱に付いているクルクル回るなにか
かなと思ったけれど
そういえば冬には聞こえなかった。
それに風に関係なく
鳴ったり止まったりする。
多分、僕が小さかった頃は
そんな音はしてなかったと思うんだけど...
なんの音?
たぶん秋になると鳴り出すから、
自分の説では「虫」が最有力。
でも...まだ姿は見たことがない。
キュ キュ キュ...と
どうやってそんな音、鳴らしてるのかな
]]>
いつも、寝る前の
頭がギリギリ思考とつながっている状態で。
概ねふとんに入りながら
このブログをしたためていたんだけど。
なにやらこのブログサービスが縮小ぎみなのか...
スマホから投稿するのがすこぶるやりにくくなってしまった。
夜に書いたラブレターを
次の日の朝に見るとはずかしい内容になってるっていう、
内面のさらに内側のような部分が大っぴらになる、その感じがインターネットだなと昔思って随分前からそのスタイルでブログを書いていた。
それがやりにくくなってしまって
はて、どうしたものかと思っている
]]>
なんてこった
初めて見た、脱皮したてのキリギリス。
その透き通るような緑の美しさに
見とれているうちに
20日がたっていた。
]]>世の働いている人には、
週に1日か2日は休みがあるらしい。
それをうらやましいとはあまり思わないけれど、
たまに休んで、自分のためだけに時間を使うと多幸感が増すようだと
薄っすら気がついてきたので、今日はがんばって休んでみた。
いつもなら1人か2人くらい知り合いに会ってしまうものだけど、
今日は幸い、知ってる人にも会わなかった。
夕闇に染まっていく空を眺めたのも久しぶり。
人と話さない1日も久しぶり。
家での夕食も久しぶり。
]]>
沢山の子供たちに魚の絵を描かせて、
こんなにも絵のテイストが揃うものか。
と、どのように進めたのか気になったが、
そうだな、
魚の形状が正確であまりに大人びているから、そこはなぞっただけで、
色塗りをそれぞれに任せたか。
看板、時々デザインの裏読み。
]]>いやはや
手が足りないなぁ
ネコの手か...
もう一本、手が生えてたらなんとかなったかな。
いやいやそうゆうことじゃなさそうだ。
色々なことがライブで起っていく環境にいるから、
いつからか、しっかりした計画を立てることをやめてしまった。
だって自分のペースで出来ることなんてほとんどないんだもの。
でもなぁ
もう少しやり方を変えていかなきゃいけない。
]]>
趣味はなんですか?
聞かれて困る質問だ。
元々好きなことを仕事にしてしまったから、
純粋な趣味というのがすぐに思い浮かばない。
けれど、ひとつ間違いなく人よりクルマが好きだ。
運転はリフレッシュになるし、
クルマの造形や歴史も好物で、
どうやらクルマの話をしている時、僕は笑顔だそうだ。
クルマ好きにはそれぞれこだわりがあって好きな車種もバラバラだ。
そうラーメン好き同士の推しのお店が合わないように、
押さえどころによって全く異なるランキングになる。
そんな僕が好きなクルマのひとつ「アルピーヌA110」。
その昔ラリーで名を馳せた名車のリバイバルだ。
フランス産のマイナーなスポーツカーだから、
現物になんて会えないと思ってすごしていたら...
街ですれ違って、興奮していたらなんと知人が乗っていた。
後日、幸運にも助手席に乗せてもらった。
おそらく僕は、終始笑顔だっただろう。
]]>今年の桜は2週間も早くにやってきて
咲いた頃に風が吹き荒れたものだから、あっという間に散ってしまった。
お花見なんて...
毎年その頃、イベントの企画に忙殺されているから、ゆっくり出来るわけもなく。
でもまぁ
視界のすみに捉えて、ただ桜の横を通り過ぎるのもまた
ちょっとした贅沢な接し方だなと思っているふしもある。
そんなぞんざいな触れ方をしてきた桜だが、不意にまだ咲いているのを見つけ
感覚の中の季節が巻き戻された。
やぁ春よ。
もう少しそこにいておくれ。
]]>
なんだかもったいなくて
もう寝てしまうのが。
せっかく周囲が寝静まって
思考が自由になろうとしているのに
寝てなんかいられるか。
などと言いながら
宿題もせずに
ただネットを見たり
ブログをしたためたり。
こうゆう何気ない無駄こそ
夜更かしの醍醐味か。
]]>また、帰ったら寝るだけの生活だ。
それをずっとやってた時期もあったから、少し懐かしさを感じつつ
今は、いかんなぁとも思う。
僕の、なにかを作る原動力のひとつとして
「切なさ」がある。
なにか足りない、届かない、だから作る。
そこには、満たされて生活していたら見えない景色がある。
けれど、そこには長く居続けられないなとも思う。
もう少し幸せに近づきたいと思うようになったからだろうか。
と、色々抱え込んでしまった身体抱えて、
ふとんに潜る。
不意に、夜早めから家にいれることがある。
いや、早く帰ることにする日がある、と言った方がいいか。
すると少しずつ自分のテンポがつかめるからか、
(元々とことんダラダラできる性格)
くだらないゴールデンタイムのテレビなんか見たりしてると
ジワリジワリと幸せがしみ出てくるような気がすることがある。
昔の夜のすごし方を思い出すからか、
自分のためだけに時間を使えているからか、
分からないけれど、
こんな何気ない生活の仕方に
幸せが眠っているのかもしれないと最近思うようになった。
]]>食べ物に執着がないわけではない。
でも例えば、
今夜、何食べようかなぁと自分自身に聞いてみても、なかなか決められない。
店舗応援の、なんとかプレミアムチケットなんてものをまだ持ってるんだから、
ちょっといいものを食べに行ったらいいのに、いいものは毎日食べるものじゃない気がするし、
自分にご褒美♡なんていうのもあまり気がのらない。
お店で出される「おいしい!」食べのものは、それがおいしい状態で僕の目の前にあるために、
沢山のプロフェッショナルな人たちの労力をへてやってきていて
それを想像して疲れてしまうからだろうか。
]]>
重なる重なる
設備やら機械やらソフトやらクルマやら
の不調。
おかげでリズムも不調。
もういくつか不調が現れたら...
もう神頼み。お祓いでもしにいくか
]]>